今回は自分の話で恐縮ですが、看護師として集中治療室で働いて7年目になった私が1年目の時に経験した辛かった話をお伝えしたいと思います。
看護師1年目は多くの人にとって、とてもつなく辛い時期ではないでしょうか??
人間関係で悩む方、業務内容で悩む方、現場のリアルに悩む方
など悩みの内容や程度は様々ではありますが、楽に過ごして来た方は全国でもごく少数ではないかと思います。
私自身の大きな悩みは主に人間関係と自分の仕事の出来なさでした。
何を隠そう、私は1年目の看護師の時、それはそれは辛い1年を過ごした一人です。
時間が解決してくれることも多いと今では思えるので、今辛くて仕事を辞めたいと思っている方の踏ん張る力の支えになれればと思います。
憧れの大病院への就職
私は田舎の町で育ち、周りの人よりも能力が特別優れているわけでもなく、大学の受験もうまくいかず、なんとか滑り込んだ私立の大学で看護師としての勉強をしていました。
最初はなんとなく看護師としてまぁ楽しくやって行けたらいいなぁぐらいで考えてました。
しかし、大学に入ってから素敵な先生に巡り会え、看護師として力をつけて、一人前になって社会貢献したいと思えるようになりました。
なので大学生のうちは比較的真面目に勉強をしていました。
就職活動をする頃には、「看護師として業界トップの力をつけてやる!」なんて思いながら自分の力を伸ばせる病院を探していました。
就活も一生懸命やり、勉強もし、希望の病院での内定が決まり、自分は本当に幸せ者だと実感したものです。
そして、大学4年の後半には早く働きたくてしょうがないと思っていたことを今でも思い出します。
順調だった3か月目まで
入職したての私のモチベーションは最高潮でした。
学生の頃から、早く看護師として現場で働きたい!と胸を躍らせて、働けるのを今か今かと待ち望んでいたので、やっと社会人となった時、どんな逆境も跳ね返して、知識を経験を蓄えてスーパーナースになってやろうという思いでいっぱいでした。
しかも配属されたのが、院内最重症患者がこぞって集まる集中治療室でした。
メインは心臓。
働き始めてからは、それはそれは充実した日々でした。
わからないことだらけで、先輩の申し送りはすべて呪文に聞こえる。遅くまで勉強漬けの毎日。
そんな毎日でも、とてもやりがいもあったし、勉強してわからないことがわかるようになることが本当に楽しかったです。
私が男性という事も関係あったのかもしれないが、まじめに仕事に取組み勉強する姿勢を先輩は評価してくれていました。
医師もマイノリティーな男性看護師に皆優しく接してくれました。
この頃は先輩看護師は口をそろえて僕にアドバイスをくれ、
「これから先は長いし、そんながつがつ勉強してなくても大丈夫だよ。ちゃんと休みなさい」
と。なんて優しい先輩たちなんだ。もう僕頑張っちゃうぞ!
なんて思って毎日一生懸命働き、休みの日も病院の図書館でずっと勉強していました。
4か月突入からの異変
この頃から業務も少しづつ自立できて行うことが多くなってました。
しかし集中治療室の勤務において、まだまだ新しいことばかりであり、日々の勉強は欠かせない状態。
また重症な患者さんも看るようになってきたり、逆に比較的軽症な患者さんを2名受け持つことも多くなってました。
この時から少し違和感を感じるようになる・・・。
先輩達の私と接する態度が、以前に比べて少し刺さる感じがしました。
お互い慣れてきて、遠慮がなくなってきたのかなど考えていたのですが、2か月目ぐらいに言っていた先輩の言葉を思い出した。
「これから先は長いし、そんながつがつ勉強してなくても大丈夫だよ。ちゃんと休みなさい」
5か月目:異変は確信へ変わる
いよいよあからさまに先輩にきつい口調で怒られるようになっていました。
受け持ちをしていても、今までそこまでではなかったのだが、質問攻めにあい、答えられないとものすごい負のオーラを感じる・・・。
というよりなんだか怖いオーラを出されていました。
安定して優しい人もいるが、最初は味方だと思っていた人がどんどん私に牙をむくようになってきたのですが、当初の私には原因がわかりませんでした。
6か月目~9か月目:指導なのかイジメなのか
何だかんだこの頃には、最重症に近い患者を受け持つようになっていました。
が、いつも先輩のオリエンテーションは外せない状態・・・。
今だからこそ気づけるのだと思いますが、先輩がいつも私の指導ができるように、先輩はあまり手のかかる患者を受け持てないため、周りのスタッフがその分たくさん働くはめになっていたんだと。
完全に足を引っ張っている私。
どんどん自立していく同期たち。
どんどん注目が注がれ目立つ私。
同じ部類の人間に思われたくないのか、まったく関わってこない同期たち。
私の部署にはオリエンテーションファイルというものがあり、毎日そこに学んだことや感じたことを記載して、それに対して指導してくれた先輩がコメントを残すというルールになっていました。
そのオリエンテーションファイルの厚みが日に日にまして行きます。
中には指導の内容を超え、誹謗中傷の内容に変わっていくものも。
直接指導されることもなく、WordでA4用紙1枚にびっちりお叱りのメッセージを書かれた紙だけファイルに挟まれていることもありました。
~ができていない、~が弱い、何度言わせるのか、直す気がないなんて言われるのは当たり前でしたが、
「働いていましたか?」(業務がうまく回せなかったから)
「(やっていることは)バイト以下だ。いやそんなこと言ったらバイトにも失礼だ。」
なんてメッセージを書かれることもありました。
もはやオリエンテーションノートが「デスノート」に変わっていました。
私の当初の輝きは失われ、人間不信になり、だれも信じたくなくなってました。
なぜか、怖い先輩ばかりが私の指導担当になり、その頃には部署内で仕事以外の声を発することもほとんどなくなりました。
あんなに仕事がしたかったはずなのに、毎日の仕事が苦痛となり、笑顔もなくなり、食事も喉を通らず痩せていったのを覚えています。
毎日の仕事前後のロッカールームで椅子に座り、しばらく呆然と動けなくなるという毎日でした。
9~11か月目:メンタルが崩壊寸前
この頃には更にデスノートは過激さを増していきました。
日々の先輩のあたりも以前よりひどくなっていました。
業務が始まったと同時に患者のアセスメントについて1時間程説明の時間をとらされ、結局朝の貴重な1時間を使い切った私が、周りの人と同じように業務が回るわけもなく、
「なんで仕事が回らないのか」
「いつまでたってもできない」
と面と向かって言われるようになり・・・。
確かに決して仕事のできる人間ではないし、地頭もよくないし、アセスメントも他者に比べれば大したものではないかもしれない。
ただ私という人間を否定されているような気がしてなりませんでした。
この時の人生で一番のどん底を経験したと思います。
あんなに希望をたくさん持って、せっかくなれた自分の看護師人生はこんなものなのかとひどく落ち込みました。
できない自分はわかっているけど、心も疲れ果てていてどうしていいのかもわからない状態です。
12か月:お情けの開放
そんな状態で1年が経ち、新しいスタッフも入ってくるからと先輩が業務中にくっついて指導する期間は終了しようということになりました。
「まだまだ一人で任せたくない」
「周りのスタッフは私のことを厳重に管理するように」
なんて言われながら1年かけてようやく半1人立ちという状態になりました。
本当につらい期間がひとまず終わりを迎えた。
ただ、新人が来てからは先輩の当たりは多少緩和されたような気がしました。
ターゲットが変わったからか、忙しくて私に構っている暇がなかったのかはわかりませんが・・・。
その後:現在同じ部署で7年目
今、看護師として7年目となった私。
もちろん同じ部署で働いています。
想像もできないことでしたが、あの怖かった先輩看護師とは仕事中に冗談を言い、笑いながらコミュニケーションがとれるようになっています。
今ではもちろん仕事も自立して、リーダー業務やその他会議の出席、研究・学会発表、後輩や実習生の指導も任されるようになっています。
あの頃を振り返って
私の能力が低い
そんなこと言ったら話にならないのでそれ以外に。
どうやら4か月目ぐらいから先輩のあたりが厳しくなったのは
「最初はゆっくりでいいと思ったけど4か月目でここまでしかできてないのはまずい、ケツをたたこう」
となっていたらしいです。この頃からあの辛い経験は始まりを迎えたんだなと。
それはさておき、私の中で思ったことは
「目立ちすぎた」
これに尽きると思います。
最初から自分の存在をもうアピールしすぎました。
アピールしたというよりも、働くことが楽しみすぎた私にとって、職場で働くことが本当に嬉しくてものすごい元気に働いていたんだと思います。
結果、相当目立っていたと。
できていないからみんなが私のことをいつも以上に隙間なく見つめることになる。
ばっちり管理されるからへんな緊張感からミスも多くなる。
また見張られる。
怒られて怒られて委縮してできなくなる。
また見張られる。
その状況が
他の人がしたミスと同じミスを私がすると、私だけ犯罪者並みにぼこぼこに。
の状態も生んだのだと思います。
周りから客観的にどのように見えていたのか
当時の仲の良かった男性の先輩に聞きました。
周りみから客観的に私はどう見えていましたか??と。
先輩は言いました。
例えるなら、「銃器の弾丸が飛び交う戦場で、裸で、隠れもせず、自分の名前を大声で叫びながら、どうどうと歩いていた」
と。
結果、ハチの巣のされている私を助けることもできず、見守るしかなかったと。
1年経って、先輩の目が少し離れたあとは、自分でもびっくりするほど仕事がうまく回るようになっていました。
常にみられているプレッシャーがなくなったのと、自分で患者さんを看ないといけない責任感が私を成長させてくれたと思います。
今では、私の自分の経験から後輩を指導する時
「よっぽど危険でないかぎり、できるだけやらせてみる。何度も失敗させて怖い体験もたくさんしてもらう。あまり近くにいすぎない」
ということを軸に関わるようにしています。
最後に
私の経験上でありますが、看護師として大きく差があると感じるのは1~2年が限度だと思います。
4年、5年、6年と経ってくると、どの年代の人も最低限の仕事ができるし、仕事の質もほとんど変わりません。
中には特別仕事ができる人がいますが、特定の人が受け持つと患者の状態が悪くなるとか危ないとか一定の年代になるとほとんどなくなります。
要は、そこまで耐えることができるかではないかと思います。
教える側もあきらめず教え続ける我慢が必要
教えられる側もあきらめず勉強し努力する我慢が必要
私はそう思いました。
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