病院勤めをしている多くの看護師が避けては通れないものの1つが
「患者の死」
です。
死は他人であっても家族や知人であっても怖く、悲しいものです。
看護師という仕事は病める人の看護が主ではありますが、やはり良くなっていく人、悪くなっていく人、様々な人がいます。
看護師として働いていく中で、患者の死を看護師はどのように捉えているのか。
今回は患者の死とそこで働く看護師の思いをテーマにとってみたいと思います。
病院における患者の死
一般的に病院にどういうイメージがあるでしょうか?
これから看護師を目指す方も
「病院は人が亡くなるイメージがあるから怖くて嫌だ。」
と思う方もいると思います。
私は実習生の指導も普段したりしているので、今でも看護学生の意見を聞く機会があったりしますが、話を聞いていると
「患者の死に耐えられるか不安」
「絶対に泣いてしまうし、泣いてしまって怒られるって話も聞きます」
という意見を聞くことが多々あります。
今、まさに集中治療室で働いている私の意見としましては
病院でなくなる患者さんは思っている以上に多くはありません。
今の医療はとても進歩しています。
ひと昔前なら、重症化していた疾患も様々なガイドラインや治療計画の改善、看護技術の向上に伴いはるかに改善する可能性が高くなっていると思います。
また、現代社会の健康志向の流れも合間って、一般の人たちも健康に気を使う人が多くなったためか疾患が重症化する前に改善されるパターンも多く見受けられます。
集中治療室に働いていても、一時的に危篤の状態になることはあっても、集中治療室から退室できるようになる方が感覚として、9割5分以上にもなります。
家族や本人が回復に向けての治療を望まないという判断をしない限り、多くの方は病院でなくなることは少ないです。
全体的に見れば、亡くなる人は少ないですが、病院で働く以上、人が亡くなるという場面を聞いたり見たりすることは多くなります。
実際に働いていて、交代制勤務をしているので、常に自分が現場にいるわけではなく、自分が働いているときに人が亡くなる場面を見るのは年に両手が数えきれるぐらいだと思います。
一般病棟に入院される方などは、回復の見込みがある方が多いですし、集中治療室にしても同じことが言えます。
反対に先日訪問看護ステーションで働く同期がぽろっと漏らしていました。
「訪問看護師をしていて、病院の集中治療室に入れば絶対助かる命なのにお看取りになるのがものすごいジレンマだ」
と。
現場の看護は本当に色んな思いやジレンマを抱きながら仕事をしています。
看護師はどう思う?
では現場で働いている看護師は具体的にどう思うのでしょうか。
病院で働く看護師の性なのかもしれませんし、そうでないと仕事にならないということもあるのですが、
病院で働く看護師は死にある程度慣れてしまいますし負の感情があまりわかない人が多いです。
もちろん自分たちの至らなさがあったのではないか、または患者を失う辛さ、予期せぬ事態でショックをうけることもあります。
たまに、受け持ち患者がなくなって悲しくて涙している後輩看護師に、
「あなたが泣いてどうするの!」「泣くな!」
と諭す先輩看護師がいると聞きます。
確かに泣いていては仕事にならないかと思いますが、
家族からしたらどうでしょう?
自分の家族にために涙を流してくれる看護師に出会えたら…
私ならそんな看護師さんに看てもらえて本当にありがたいなと感じます。
色んな意見があるかと思いますが、私は看護師が死を悲しむのはありだと思います。
しかし、集中治療室の看護師は死に慣れてしまうのも事実かと思います。
死に慣れるという意味でいうと、
集中治療室で働いていると
人としての大切な感覚を失ってしまっているのではないか
と思う事も多いです。
集中治療室に限ったことではないかと思いますが、そういった思いを持ちながら日々看護に勤しんでいます。
亡くなった患者さんから学びを得ることは非常に多いですし、世間一般の人ではなかなか経験のできないことです。
辛い気持ちを時には乗り越えて、より患者さんに貢献できる看護師になりたいものですね。